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秩父小野田(株)小野田工場事務所(旧小野田セメント)

窯業/小野田市小野田6276/RC造2階建/昭和3年(1928)

 

 山口県の産業構造は、明治を迎えても農林漁業が中心で、工業は塩・紙・蝋などの在来の事業がそのまま受け継がれてきた。近代的工業は、明治14年(1881)にわが国最初の民営セメント会社として設立された小野田セメント株式会社、16年設立の岩国義済堂機械製糸工場に始まる。いずれも、廃藩置県ののちを失った士族授産を目的として設立された。旧萩藩士笠井順八は、山口の同会社倉庫の建設にセメントが使用されたのを見て、セメント製造を志した。13年、井上馨の紹介を得て、官営深川セメント製造所で製造技術について教えを受け、翌14年小野田セメントを設立、16年、セメント製造を開始した。

 

 この建物は、昭和3年(1923)に竣工した旧小野田セメント本社事務所である。RC造り2階建て、延べ面積5㎡、同社の営繕部門が設計し、セメントは自社製のものが使用された。戦災を受けることもなく、平成6年(1994)、会社合併にともなう本社移転まで、ほぼ竣工当時のまま本社事務所として機能してきた。現在は、秩父小野田㈱小野田工場事務所及び㈱小野田小野田工場として使用されている。

 

 正面外観からうかがえるように、デザインを重視した大正建築の思想が強くあらわれている。第一次大戦後のドイツ表現派の影響も感じさせる。左右屋根の中央に配置された一段高い切妻屋根に向かって、パラボラ(放物線)状の柱形が伸びる。垂直線を強調した大胆なデザインである。正面車寄せの柱身のプロポーションは、太く短い円筒形をし、古典的な建築と隔たりがある。柱頭には大正建築によく見られる幾何学的な装飾がつけられている。パラボラ状の柱形、車寄せの屋根など曲線が強調されたデザインであるが、1・2階窓の直線が、建物全体に理知的な明晰さを与えている。
 

 1階平面は、玄関ホールから真っすぐ奥に続く中廊下が設けられ、中廊下の左手はカウンターを隔てて広い事務室、右手は応接室や厨房が配置される。2階は株主総会や各種大会が行われた講堂のほか、会議室、応接室などが設けられている。

 

 1階事務室や2階講堂は、鉄筋コンクリートの構造を生かして、太い柱と背高の梁による大空間が作り出されている。各室内は、2連あるいは3連の縦長窓によって明るく、白壁と、黒く塗られた窓額縁・建具などの直線が、室内に落ち着いた雰囲気を与えている。玄関ホールや廊下の床は、模様の入った大きなタイルが使用され、室内は、1・2階とも全て木煉瓦が敷き詰められている。手入れの行き届いた暗褐色の木煉瓦の踏み心地はよい。このほか、表現派風の曲線を描いた手摺りによって生み出される階段回りの空間、台形に開けられた通路入り口、天井四隅のモダンな換気口など、大正末期の自由でロマンチックな造形が各所にあふれている。建築当初に特注で造られた家具も多く残されている。


(福田東亜)

 

(参考文献)
(1)『小野田市史』1968年
(2)『やまぐち建築ノート』マツノ書店 19  年


出典:「山口県の近代化遺産」 山口県教育委員会