産業観光とは
産業の歴史と特徴
宇部市・炭鉱のまちから無限の工業への発展
山陽小野田市・窯業の町からの転換 粘土が支えた暮らし
美祢市・自然の恵みが支えた暮らし 秋吉石灰岩の恵み
平成21年度産業観光バスツアー
-三翁物語-
-今昔物語-
-時事に迫る-
協議会について
リンク

社団法人宇部観光コンベンション協会

山口宇部空港

おいでませ山口へ

秋吉台・秋芳洞観光サイト カルストドットコム

 

 

 

三翁物語

三翁

宇部、美祢、山陽小野田の発展を支えた3人の翁。
縁の地や人を訪ね、いつまでも敬愛され続ける彼等の素顔に迫るとともに、その功績や高い志を学ぶ旅です。

 

笠井順八翁(1835~1919)

 萩藩御船手組の有田甚平の三男として萩城下で生まれる。7歳のとき、萩藩士笠井英之進の養子となる。1873年山口県勧業局主任。1877年以降は県の役職を辞して旧藩士族の授産事業に尽力し、1881年民営としてはじめて「小野田セメント製造株式会社(現、太平洋セメント)」設立を認められ、1883年、工場を厚狭郡西須恵村(現、山陽小野田市)小野田新開作に建設。現在の山陽小野田市発展の支柱となった。 笠井順八翁

 

渡邊祐策翁(1864~1934)

 宇部の領主福原氏の家臣渡邊恭輔の次男として、厚狭郡小串(現、宇部市)島で生まれる。1897年沖ノ山炭鉱(現、宇部興産グループの前身)頭取として、開坑に成功し、宇部経済界の中心人物となる。多くの炭鉱経営者が石炭の販売に重点を置き、やがて経営不振に陥ったのに対し、渡邊は石炭を中心に関連産業の育成と人口増加に伴う教育・厚生施設の充実に力をそそぎ、宇部発展の基礎を築いた。 渡邊祐策翁

本間俊平翁(1873~1948)

 新潟県西蒲原郡岩室村で生まれる。1894年大倉土木組に入社。幹部の一人から感化を受け1897年東京の霊南坂教会で牧師留岡幸助から洗礼を受ける。1902年家族とともに秋吉に移り、経塚山の大理石採掘所を設立して、出獄者、非行少年らの更生指導にあたる。森鴎外の短編「鎚一下」のモデルとなり、玉川学園の小原国芳の思想にも大きな感化を与えた。
本間俊平翁